なぜナスカの地上絵は何世紀にも渡り、色あせたり消えたりすることなくそのまま残っているのでしょうか?
これら迫力満点の古代アートがなぜ描かれたのか、その目的は今も謎に包まれたままです。
ナスカの地上絵は、およそ1600年から2000年前に、現在の日本の弥生時代から飛鳥時代に当たる時期に制作されました。
学校でチョークを使ってラインを引いた経験があるかもしれませんが、なぜそれがあっという間に消えてしまうのに対し、ナスカの地上絵は2000年以上もの間、存在し続けるのでしょうか?
この記事では、ナスカの地上絵が長く保たれる理由について、制作技術とその地域の特徴的な地形にスポットを当ててご紹介します。
ナスカの地上絵はなぜ消えない?
私たちが遊びで砂場に描いた絵が次の日にはなくなってしまうのは自然なことです。
しかし、1000年もの長きにわたって消えずに残るとは、想像もつかないことですね。
地上絵がどうしてそんなに長持ちするのか、その秘密に迫ります。
乾燥した気候が守り手となる
ナスカ地上絵が時を越えて保たれている主な理由は、その地域が非常に乾燥しているからです。
年間の降水量はわずか4mmと非常に少なく、ナスカを訪れると、広大な砂漠が目の前に広がり、地面は黄土色で覆われています。
ここでは、雨具を持つ必要さえ感じません。
砂漠と聞くと、砂嵐を思い浮かべがちですが、ナスカの砂漠は石や岩が混ざった独自のものです。
約1600年から2000年前に制作されたこれらの地上絵が、もし雨が多かったら、今では見ることができなかったかもしれません。
しかし、気候変動の影響で最近になってこの地域の雨量が増加し、地上絵を保護する上での新たな懸念が出てきました。
ちょうどいい風が味方に
地上絵が消えずに残っている理由の一つに、風が適度に作用していることがあります。
砂漠であれば通常、砂に埋もれてしまいがちですが、ナスカでは適度な強さの風が砂を巧みに払ってくれます。
硬い大地が地上絵を守る
もう一つの理由は、大地が非常に固いことです。
ナスカの地面には硫酸カルシウムが豊富に含まれており、霧が多いことから硫酸カルシウムと水が混ざり合い、さらに固い大地を作り出しています。
この固い大地が地上絵を長い間守り続けているのです。
風化を防ぐ工夫
ナスカの地上絵は、表面に散らばる小石を除去することから始まります。
このプロセスで露わになる白い石灰質の土は、湿気と反応してセメントのように固まり、風化に対して強い耐性を示します。
太陽の光によって時間とともに酸化し黒く変色した地面の小石は、白い土と鮮やかな対比を描き出し、美しいコントラストを生み出します。
動物の脅威が少ない
ナスカ地方は生物の種類が少なく、動物たちによる地上絵の破壊のリスクがほとんどありません。
ナスカにバッファローやヌーのような大群がいたら、地上絵はすぐにでも消え去っていただろうと思われます。
地上絵には、実際にはナスカに生息していない鳥、アルパカ、サル、クジラなどが描かれており、これらは外部とのつながりを物語っています。
ナスカには人間が住んでいましたが、野生動物による地面の荒廃はほとんど見られず、数多くの地上絵が今日まで残されています。
守り手たちの努力
ドイツ出身の数学者兼考古学者であるマリア・ライヘは、ナスカの地上絵の重要性を広め、その保護に尽力しました。
パンアメリカンハイウェイがナスカ平原を通ることで一部の地上絵が損傷しましたが、影響は最小限に抑えられました。
1970年代の終わりには、マリア・ライヘは自己資金で展望台を設置し、地上絵を航空機に乗らずとも観察できるようにしました。
彼女は生涯にわたりナスカの地上絵の研究と保護に貢献し続けました。
しかし、年月が流れ、多くの観光客に愛された展望台も老朽化してしまいました。
2020年、日本のボランティアや地元の日系組織の援助によって、マリア・ライヘの展望台の隣に新しい展望台が完成しました。
この取り組みは、文化遺産を次世代に継承し、保護していくことの大切さを、日本人としての誇りと共に示しています。
アンデスで作られた貴重な金工芸品が侵略者によって奪われた歴史を振り返ると、文化財を守る人々の努力がいかに価値あるものかがわかります。
文化遺産を保護し、その価値を認識し、後世に伝えていくことは非常に重要です。
ナスカの地上絵は消えゆく運命に?
紀元前から続くナスカの地上絵が、現代においても失われつつあります。
長い時間を経て自然の変動に晒され、地上絵を構成する石は風雨によって徐々に色あせ、かつての鮮明なコントラストが薄れてきています。
また、観光客や地元の人々の間での保存意識の低さも、これらの貴重な古代のアートワークの劣化を加速させています。
ナスカ地上絵の所在地
ナスカの地上絵は、ペルー共和国のナスカ川とインヘニオ川の間の地帯に広がっており、乾燥した高原地帯に位置しています。
この地域には、さまざまな動物や植物を象った幾何学模様や図形が地面に描かれています。
ナスカ地上絵の制作期間
ナスカの地上絵が制作されたのは、1600年から2000年前と見られてます。
この時代、ナスカ川流域には「カワチ遺跡」があり、ここでは宗教的な儀式が行われ、狩猟、農業、漁業が盛んにおこなわれていたことが知られています。
このポッドキャストでは、文化と文明の違いに触れているので、興味があればぜひ聴いてみてください。
ナスカの土器は、その色彩の豊かさと、動物、戦士、神々をモチーフにしたデザインで有名です。
文字を持たなかったアンデスの人々にとって、これらの土器の装飾はコミュニケーションの手段であり、ナスカの人々が絵の才能に恵まれていたことを示しています。
ナスカ文化は、その1000年前に繁栄していたパラカス文化から大きな影響を受けています。
パラカス時代にはすでに地上絵が描かれており、「パルパの地上絵」と呼ばれていますが、ナスカの地上絵が特に有名で、しばしば混同されます。
ナスカの地上絵が消えない理由まとめ
ナスカの地上絵がどうして長期にわたり保存されているのかについて説明しました。
これらの地上絵が古代の人々によってどのような目的で描かれたのかは、遺された遺跡や証拠からのみ推測が可能です。
いずれ私たちの存在も古代の記録の一部になるかもしれません。
私たちが今残すものや行動は、未来の世代が私たちの文化や生活を解釈する上で重要な手がかりになるでしょう。